このブログでは、これまで庭のことを中心に書いてきた。花のこと、土のこと、季節の移ろいなど。でも、あまり触れてこなかったことがある。正直に言うと、今の我が家の庭は、父なしでは作ることが出来なかった。

庭づくりを始めた頃から、今までずっと、父はよく手を貸してくれた。花壇を作り、深く土を掘り、砂利を取り除き、重たい石を一緒に運んだ。黙々と作業をする父の背中を、今でもよく覚えている。

父が庭で作業をしていると、ご近所の方に声をかけられることがよくあったという。そんな時父は決まって「息子が作っている庭なんです」と言っていたそうだ。自分が手を動かしているにもかかわらず、そう言ってくれていたところに、父なりの優しさや、少し照れたような誇らしさを感じる。


自分が「こんな感じの花壇を作りたい」「こういうイメージで温室が欲しい」と言うと、父は一緒に考えてくれた。雑誌をめくり、ネットで写真を探し、YouTubeを見て、「こうしたらできるんじゃないか」とよく構想を練った。実際に作るのは、ほとんど父だった。自分は言うだけで、父が形にする。そんな感じだった。


4年前、父は肺がんと診断された。それから治療が始まり、抗がん剤や放射線治療を受けながらの生活になった。それでも父は、その間にフェンスを作り、温室ハウスを一から作った。最後に作ったものは、今年の春にシャベルなどの道具を入れる小さな小屋のようなものだった。治療の合間に、少しずつ、少しずつ、色々なものを作っていた。


私たち家族は、治療のために、100キロほど離れた釧路まで定期的に通う生活を続けていたが、父はその行き帰りも含めて、日々の中に小さな楽しみを見つけていた。家にいる時も、図書館で借りてきた本を夜遅くまで読みふけったり、プライムやネトフリで映画やドラマを観ては感想を語ったりしていた。治療の期間も、父なりの生きる楽しみが満ちていたように思う。


今年の春を過ぎた頃から、父は横になっている時間が増え、夏になると食欲も落ちてきた。それでも今年の初夏には、父と一緒に庭をゆっくり見て回る時間があった。毎朝仕事に行く前の少しの時間、父と庭を見るのが習慣のようだった。花壇を眺め、歩きながら、父はぽつりと「今年は、今までで一番だな」と言っていた。思い返せば、宿根草や球根を植えるたび、心のどこかで「来年も父がこの庭を見られますように」みたいな、そんな気持ちを抱きながら手を動かしていたように思う。


今年こそは、来年はもっと、そんな思いの積み重ねのような形で、父にとっては、息子の押し付けがましい勝手な思いだと思うけれど、病気と向き合う父に、できるだけにぎやかな庭を見てもらいたい、というような気持ちがあったように思う。だから、父のその時の言葉は、何かそんな自分の隠れた思いを肯定してくれていたような感じで、今も胸に残っている。

冬の苗作りも、父に手伝ってもらった部分が多い。土を混ぜ、鉢やポットを並べ、言葉少なに作業をする時間は、今思えばとても静かで穏やかな時間だったと思う。

父は今年の9月6日に亡くなった。亡くなってから、父が自分の小部屋のように使っていた物置を整理しようと思った。けれど、父はほとんど最低限のものだけを残し、自分で整理を終えていた。残っていたのはインパクトドライバーや剪定用のバリカンなど、主だった工具だけだった。シルバー人材センターで剪定の仕事をしていたので、バリカンはいくつも持っていたはずなのに、残されていたのは1本だけ。いつの間にか処分していたらしい。

物置の中で、父が棚に置いたもの、整えた道具をみると、正直、寂しさが込み上げる時がある。少し経つと「がんばるぞ」みたいな、なんとも言葉で表現できない少し前向きな気持ちになるのだけど、また少しすると、思い出がふいに押し寄せてくる。今は、その繰り返しの中にいる。

来年からの庭づくりは、自分にとって第2章になるのだと思う。同じ庭だけれど、向き合い方は少し変わる。父と一緒に作ってきた庭を、今度は自分一人で引き継いでいく。

このブログにこんなことを書いていいのか、少し迷ったけれど、我が家の庭は、父の存在なしには語れない。だから年内に一度、ここに残しておこうと思った。

庭に立つと、父と一緒に作業した場所があちこちにある。その一つ一つを確かめるように、これからも土に触れていこうと思う。


