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消化する力が文明を支える
ダーウィンは生涯、健康問題に苦しんできたという。嘔吐や胃痛、めまいに長年苦しみ、執筆も中断を余儀なくされることの多かった彼にとって、食べ物をうまく消化することは切実な課題だった。そんな彼が晩年の最後の著書に選んだテーマが、ミミズの消化と土壌形成の力だったのは偶然ではなかったのだろう。

ミミズはごく単純な生き物に見えるが、口から取り込んだ落ち葉や有機物を分解し、体内を通すことで土を豊かにしていく。ダーウィンはこの「ひたすら食べ、消化し、排出する」という営みを高く評価した。病苦に悩みながらも研究を進めた自分自身の姿と重ねていたのかもしれない。精神分析家アダム・フィリップスは「ダーウィンにとって仕事とは消化であり、消化とは労働であった」と述べている。ダーウィンにとってミミズは、自分の代わりに、理想的に消化をやり切る存在だったのかもしれない。

一見すると卑小な生き物が、大地を耕し、文明を根底から支えている。ダーウィンはそこに人間社会の営みを支える隠れた真理を見ていたのかもしれない。

ミミズ産業の可能性と現実
近年、ダーウィンが見抜いたミミズの「変換能力」が産業レベルで活用されている。バーミコンポストと呼ばれる技術は、家庭の生ゴミから農業や畜産現場の膨大な有機廃棄物までを処理する手段として注目されている。

米国では、数十万ドル規模のフロー型リアクターが開発され、大量の家畜ふん尿をミミズに食べさせて良質な堆肥へと変換する試みが始まっている。温度・湿度管理は自動化され、定期的にミミズ糞を掻き出す仕組みは、ほとんど近代的な工場といってよいものである。

とはいえ課題も多く、特に製品としての均質性が難しいようだ。ミミズに何を与えたかで最終的な堆肥の成分や性質は大きく変わる。科学的な基準を設け、成分表示を整備しなければ農家やガーデナーに広く受け入れられるのは難しいだろう。クライヴ・エドワーズらの研究者は、全米統一の規格づくりに取り組んでいるが、この出口戦略が整わない限り、循環の輪は本格的に回って行かないだろう。

それでも畜産由来の窒素汚染や温室効果ガス排出が問題となる中で、ミミズの力はますます期待されている。もし本当に大量の家畜糞をミミズに処理させることができれば、農業の肥料体系や環境政策に大きな変化をもたらす可能性がある。

ミミズは家畜になれるか?
この章の終盤で語られるのは、私たちがミミズを家畜化できるのか、という本質的な問いである。
これまで人間は、乳を出す牛、卵を産む鶏、受粉を助けるミツバチといった役に立つ生き物を家畜や栽培種として選抜してきた。その延長線上に、ミミズも位置付けることはできるだろうか。確かに、ミミズは人間に都合よく「すでに完成された存在」である。大量の有機物を食べ、静かに増え、土を改良してくれる。繁殖も容易で、遺伝的にも安定している。これほど理想的な家畜はないようにも思われる。

しかし、だからこそ逆に考えさせられる。ミミズが「完成された理想の家畜」に見えるほど、扱いを誤った瞬間に全てが崩れることもあるかもしれない。大量飼育では、温度・湿度・通気性・酸素・phのどれか一つでも基準から外れると、ミミズが一斉に容器から脱走する「ワーム・ウォーク」が起きる可能性がある。原因は単純で、彼らにとって「ここはもう土ではない」と感じる環境が生まれるからである。

酸欠、過湿、急激な高温・低温、餌の腐敗など、人間側の管理ミスがトリガーとなる。工業規模で使うなら、センサーと自動制御、廃液管理、ライトやフタによる抑止、段階的な餌やりといった当たり前の保安が欠かせない。家庭規模でも原理は同じで、少しの過剰な好奇心や過保護(かき混ぜ過ぎや与え過ぎ)が、かえって不幸を呼び込むことになる。

生態系への配慮も欠かせない。バーミキャストには小さな卵胞が混じることがあり、未熟な堆肥を屋外に大量散布すれば、意図せず外来系統をばら撒くことになり得る。とりわけ森林縁や自然保護区の近辺では慎重さが求められる。施設側は「熟成期間」「ふるい分け」「熱処理や静置」で卵胞リスクを下げ、販売側も「用途表示(家庭菜園向け、農地向け、芝土向けなど)」を明確にするなど、これらは品質を保証する最低ラインになるだろう。

製品の均質性と生産者の責任(責任ある養殖)も重要である。ミミズに与える原料(家畜糞、食品残渣、園芸残渣)が日々変われば、出来上がる堆肥の成分、塩類、微量元素も不安定となる。「よい堆肥」と「たまたま調子のよかった堆肥」は製品としては別物になる。農家やガーデナーが安心して使えるようにするには、成分のラベリング(有機物率、電気伝導度、窒素、リン、カリ、成熟度)、ロットごとの簡易分析といった見える化が不可欠。

衛生問題と近隣への対策も忘れてはならない。未処理の生ゴミや糞尿には病原体や悪臭のリスクがあり、前処理(好気性の高温一次発酵での殺菌)、施設密閉と臭気処理、排水の再循環や浄化、害虫ベクター対策も行う必要がある。

最後に倫理的な問題もある。ミミズは痛みや意識の問題をめぐって議論が続く存在だが、それでも「労働力として使う」以上、彼らにとっての当たり前の快適な環境、自然史にそった営みに人間がリズムを合わせることなど、最低限の配慮が必要である。
ミミズの家畜化はすでに部分的に達成されており、特にシマミミズ系は人間の作る有機物の流れに適応し、飼育、増殖、回収が現実に回っている。ただし、真の意味で社会に定着するには、上記に挙げた条件が揃って初めて「家畜」と呼ぶことができるのだと思う。ミミズを家畜という存在に「させる」のではなく、むしろ彼らの自然な性質に人間が合わせることで、はじめて大規模利用も倫理も両立するのだろう。
