
雨上がりの庭とか、土に深くスコップを入れた時とか、少し湿ったような土の匂いがする。無心で雑草を抜いている時とか、軽いゾーンに入ったような、気持ちが落ち着く感じもある。
前に読んだ本『庭仕事の真髄』の中で「Mycobacterium vaccae(マイコバクテリウム・ヴァッカエ)」という土壌の菌に触れられていた。土に触れることがメンタルに良いという話は昔からよく聞くけれど、その理由の一端に土の中の微生物が関係しているかもしれないと言われると、少し怖いような、だけど面白そうな、そんな感じがしていた。想像の中では、土を耕した時に舞い上がった微粒子と一緒に菌を吸い込んだり、皮膚について取り込まれ、それが脳に行くみたいな、SF映画みたいなのを想像したりもした。
それ以来、このテーマはずっと気になっていて、検索してみたり、論文の要約を読んでみたり、最近はチャッピー(chatGPT)に聞いてみたりしながら、自分なりに少しずつ調べていた。ただ、調べるほどに、面白いと、よく分からないが増えていく感じがして、まとまりがつかなくなっているのがこの話の正直なところでもある。
この菌について、人を対象にした研究はまだ多くない。調べたものの多くがマウスとかの動物実験の研究ばかりだった。動物実験はいいのだけれど、まだまだ限定的で分からないことが多いようなので、この菌がすぐに「心の健康に良いよ」みたいなことが言える段階にはないと思われる。だから、現時点では自然と人との関係を考えるヒント?みたいな感じで考えるのがちょうどよい距離感なのだと思う。
目次
ヴァッカエは土の中で何をしている菌なのだろう
マイコバクテリウム・ヴァッカエは世界中の土壌に広く存在する環境細菌の一つと考えられている。特別な場所にしかいない珍しい菌ではなく、畑や庭の土、森林の表層など、ごく普通の土壌環境の中で静かに生きている微生物のようだ。おそらく我が家の庭の土の中にも、当たり前のように含まれているのだろう。
土の中での役割はとても地味で、有機物の分解に関わりながら他の微生物と共存し、土壌の栄養循環の一部として環境のバランスを支えていると考えられている。植物に対して強い共生作用を示す「菌根菌」とかの有名な菌というわけではないけれど、土壌微生物の多様性の一部として、健全な土壌環境を形作る側の存在には確かに含まれている。目立たないけど、生きた土を支えている無数の仲間の一人みたいな、そんな存在なのだと思う。

炎症反応
この菌が注目され始めた理由は、免疫の働き方に影響する可能性が研究で示唆されたからだった。ここで鍵になるのが、体の中に存在する「炎症の状態」という考え方。
この「炎症」というのが最初よく分からなくて戸惑ったのだけど、自分が最初に炎症と聞いて思い浮かべたのが、ケガとか患部が腫れているみたいなイメージ。ほかにも熱を持ったり、痛いとか。これももちろん炎症であるのは確かだけど、この文脈での「炎症」というのはそれとは異なって、体内の目に見えない炎症反応という状態。
これはどこかが傷ついているとかの意味ではなく、もっと慢性的な、免疫がわずかに警戒モードに傾いて、防御反応のスイッチが弱く入り続けているような状態のことを言うらしい。必ずしも特定の細菌やウイルスの感染によって生じるわけでもなく、軽度の炎症が体内で長期にわたってじわじわと続く状態。さまざまな病気や生活習慣病との関連も示唆されていて、体の疲れやすさや気分の落ち込み、ストレスへの弱さといった心の変化に関係する可能性も指摘されている。
ヴァッカエの研究で示唆されているのは、ヴァッカエへの曝露によって免疫反応のあり方が変化し、炎症のバランスが整う方向へ働く可能性がある、という流れ。重要なのは、炎症反応が完全に消えるわけでも、免疫を強めるわけでもないということ。むしろ過剰になった反応を少し落ち着かせ、全体の調和を取り戻す方向に近いような働きがあると考えられている。言い替えると、ヴァッカエが体に取り込まれると「炎症反応がちょうどいいバランスに調整される」という感じかなと思う。

人の心との関連について
動物実験ではストレス反応の軽減や不安・抑うつ行動の変化も報告されていて、土壌に存在する一つの微生物が、免疫系を介して神経系の状態にまで影響し得るというのはなんともすごい話だと思う。だけど、ある研究報告では、「この作用はとても興味深いけど、それを人間の日常生活へそのまま当てはめるには、まだ距離があるので慎重に考えよう」みたいなことも書かれていた。
なので現時点では、土の細菌が人の心を直接良くする、と言える段階ではなく、自然環境との接触が、免疫や神経や心理面への相互作用に関わる可能性がある、というような仮説の入り口に立っている段階なのだと思う。
「土に触れると少し元気になる」とか「なんか落ち着く」という感覚は、自分も含めて園芸を趣味にしている人は皆感じていると思う。まだはっきり、明確に言える段階ではないが、こうした感覚は単なる思い込みではなく、ヴァッカエを通して、たしかに体と心が変化している結果なのかもしれない。
しかし同時に、ガーデニングは特定の菌だけで語れるほど単純でもないように思う。体を動かしたり、日光を浴びたり、景色を見たり、草花や野菜を見たり、没頭したり、季節を感じたり、誰かと話をしたりと複雑だ。こうしたいくつもの要素が重なって、私たちの心はゆっくりと整っていくのかもしれない。
まだはっきりしない部分が多いからこそ、ヴァッカエの話には想像の余白があるようにも思う。また春になって土に触れた時「自分の内側ではいったい何が起きているのだろう」とか考えながら作業することもあるかもしれない。

