2月末の3連休で、春のような暖かさで雪が急速に溶けている。気持ちも春めいてきて、なんだか今日は庭の新たなレイアウトとか考えたりしていた。インスタグラムとかブログとか見ていると庭づくりのアイディアが無限で影響されるのだけど、なかなかそれをどう自分のところで真似るかとか、難しい。けど楽しい。
大樹町の大森ガーデンさんから春向けの苗販売の連絡が来たりして、昨年末に欲しいけど諦めた宿根草を見繕ったりもしている。ちょっと高いなと思って迷っていたら、斑入り葉のアストランティアが早々と売り切れてしまった。昨シーズン、何の苗をどこに植えたのかも思い出せなくなっているのに、新しい情報をみると衝動的に欲しくなってしまう。

R8.2.21の朝日新聞でちょっと気になる記事を見つけた。毎週土曜日「ひもとく」という連載で、ひとつのテーマを数冊の本を通して読み解いていくという構成。毎週著者は変わって、その道の専門家が書いている。今回の題は「園芸から考える自然」。このタイトルだけで、引き寄せられてしまい、素通りできなかった。
書き手は園芸家で植物専門店REN代表の川原伸晃さん。紹介されていた本は難解そうで、この記事の文章もとても深かったので、どういう方なのかと少しだけ調べてみると、自分とほぼ同世代の方。実践の現場でお仕事されながらも、思想的なテーマを掘り下げた著作もある方で、すごいなーと敬服しました。
最近はテレビをつけてもネットを見ても、自分より年下の優秀なコメンテーターや評論家の方がずいぶん増えていて、気がつけばいつの間にか世代交代が進んでいる。自分がぼーっとしている間に、世の中はどんどん更新されていて、少しだけ取り残されたような気持ちになりつつも、まあ、それはそれで悪くないか、とも思ったりしている。

さて、記事の中身です。
新聞記事の副題には「作為をめぐり入り組んだ世界観」とあり、少し難しいけど、要するに「自然」と「人の手」の関係をどう考えるか、という話なのかなと思った。私たちはつい自然はそのままが良いとか、人の手が入ると人工的になる、というふうに考えることがある。でも園芸は最初から人の手だらけの世界。
苗を選び、土を配合し、植え付け、剪定、支柱を立てたり、虫を取る。やっていることは全て作為。それなのに、私たちはよく「自然な感じの庭にしたい」と言っている。これが面白いところで、日本の庭園や園芸文化は「自然をそのまま持ってくる」よりも「自然に見えるように整える」方向に発展してきた。
たとえば雑木の庭をイメージしてみると、ぱっと見は森の一角のように見える。でも実際には樹種の選び方、配置、枝の整理、足元の下草の手入れとか光の角度のコントロールとか、細やかな手入れの積み重ねがある。徹底的に手を入れているけど、それを感じさせなくて、自然らしく見せるために、あえて作為を尽くす感じ。これってよく考えるとすごいことだと思う。今回の記事では、こうした園芸文化の背景を3冊の本を手がかりにして丁寧にたどっていました。場合によっては、園芸は単なる趣味に留まらず、私たち人類の自然観そのものと深く結びついてきたというような話も書かれている。

庭をやっていると、毎年思い通りに行かない。同じ場所でも年によって育ち方が違う。丈夫と言われた苗が意外と繊細だったり、その逆もあったりする。完璧に準備したと思ってもうまくいかないことはよくあるし、逆に雑な管理でも妙にうまくいくこともある。自然は完全にコントロールできるものでも、完全に放っておくべきものでもなくて、その間で揺れながら付き合っていくものなのかもしれない。
今回の記事を読んであらためて感じたのは、「自然」と「作為」は対立するものではないということ。前に養老孟司さんの「手入れという思想」という本でも似たような話があった気がして深く頷いた覚えがある。人の手が入るのもまた自然の一部で、その絡み合いの中に庭の風景が生まれているのだと思う。ナチュラルガーデンを目指しているつもりでも、実はたくさんの選択とか調整があって、ガーデニングではそれを楽しんだり、そこにこそ園芸の奥行きがあるのだろう。
