「庭仕事の真髄」第11章 庭の時間

先週の日曜日にようやくチューリップの球根を植えた。今シーズンのガーデニングもあとはダリアの掘り上げやサルビアなど1年草の抜き取り作業とバラの冬囲いを残すのみとなった。チューリップの球根植えるのちょっと面倒だな〜と思っていたのだけど、いざ作業を始めるとあっという間に終えてしまい、なんだか寂しいような気持ちになった。

先週までは暖かい秋だと感じていたところに、今週に入ってからは急に気温が下がり、秋の終わりと冬の訪れを感じている。数日前の朝には霜が降りて、ジニアとダリアが一発で枯れてしまっていた。そしてキツネか猫か分からないけれど、植えたばかりのチューリップの球根を掘り起こした跡を見つけて、より一層寒々しい気持ちになった。

霜で枯れたジニア(百日草)

世間的には今週から読書週間に突入し、そして「庭仕事の真髄」も第11章に突入した。ここでのテーマは時間論。10章の「生と死」に続いて、深淵な内容となっている。読んでいて、とても難しくて、何度も繰り返し読んでみるのだけど、分かった!と思ったら分からなくなる、、の連続。

第11章 庭の時間

「人生が行き詰まった時、庭で過ごす時間があるとまた先へと進めるようになるものだ。」11章はこのような文章で始まる。そして著者自身、本書を執筆する数年前、仕事と病気が重なって心身ともに疲弊した状態の時に、このことを実感したのだという。このような状態の心と体にとって、庭や園芸作業がいかに治療的効果やそれに至るポジティブな影響を与えるかということについては、これまでの章で繰り返し解説されてきた。

エリンジウム ホワイトグリッター

時間の知覚

「時間感覚」という言葉はあるものの、時間を知覚するための脳の専用の部位は今のところ発見されていない。時間が過ぎていくのを感じる感覚器官はないとも言われている。時間の認識について研究する神経科学者デイビッド・イーグルマンは「脳の分配法則」という表現を用いてこの問題を論じている。

霜が降りてもきれいなサルビア

私たちは感情や感覚、記憶とが複雑に織り合わされることを通じて時間の経過を体験する。つまり、時間の知覚は他の感覚が統合された上に成り立つようなメタ的な感覚と言えるのかもしれない。そのような意味で言うと、私たちが自分のことを認識する働きである、自己意識もまたメタ的な感覚であり、時間の知覚と自己意識は類似した構造を持つ感覚?概念?とも考えることができるのかもしれない。

普通に考えると、時間が進む方向というのは過去から現在、そして未来へというように直線的で一方向となっている。だけど我々は現在に生きながら、過去のことをたえず思い出すし、未来の自分や家族の姿についても頻繁に想像している。

そうすると、時間の進む方向はたしかに一方向ではあるのだけれども、時間の感じ方というのはそう単純ではなく、過去と現在と未来が複合的に合わさっており、その間を循環的に流れていると考えることもできる。

アジュガ

循環する時間

「循環する時間」の考え方は、最も古い時代の物語にもその形式が残されている。神話や伝説、民話などには英雄が冒険の旅に出て、帰郷し、自分の冒険譚を物語る。円卓の騎士たちの物語はその伝統的な例と言える。『英雄が冒険に出る⇨帰ってきて冒険を語る⇨冒険に出る話を語る⇨帰ってくるところまで語る⇨その英雄がまた…』と、確かに時間は入れ子状に循環していると考えることができる。

タイム ゴールデンクイーン

物語だけではなく、私たちの心や脳の働きも循環的な時間の構造(概念)の上で機能しているのかもしれない。人間は繰り返し過去に戻っては現在を理解し、未来を予測する。インパクトのある出来事で心が消耗したり、エネルギーを使い果たしてしまった時には、私たちは静かな状態に戻り、そこで過去を振り返り、自分の身に起きたことを消化しようとする。

「庭仕事の真髄」第10章 人生の最後の季節

この過程で自分自身の物語を構成し、次に同様の出来事が生じた時には、それに基づいて対処することができる。しかし、時間と心理的な余裕がない時には、そうした経験を上手く「物語」として構成することが出来ないため、その後に生じた出来事についても、これまでの経験と関連づけることが出来ず、心の消耗の深刻さ度合いが加速していく。

クレア・オースチン

庭はこのような状態に陥りがちな現代社会に生きる私たちを、基本的な生活(生物)リズムへと引き戻してくれる場所である。庭の中の安全な囲いの中にいる感じと親近感が、心を内省的な状態に変え、循環的な物語を構成するように働きかけてくれる。さらに季節の巡りが、変化と変わらないものとを際立たせ、もしも今年に何かうまく行かなかったとしても、翌年の同じ時期に再度挑戦できることを気づかせてくれる。

プリンセス・アレキサンドラ・オブ・ケント

現代の時間の流れ

循環する時間に比べて直線的で一方向に流れる時間は、決まった軌道を飛ぶ矢のようであり、身体が休息と回復を必要としていても、それを認識できなくしてしまう。私たちはとにかく時間を無駄にしないことにとらわれてしまい、いつも十分な時間がないと感じるようになる。時計を指針に生活しようとするが、いつもその時計が示すよりも早くに生活をしようとする。

現代社会はファストフードにワンクリック注文や同日配送など、ありとあらゆる要望に対して、速ければ速い方がよいとされる。インターネット上にはツイッターやフェイスブック、メールやニュースが切れ目なく流れ、大量の新情報を吸収することが要求される。

そのような社会では、何が適切なのかを判断するのがとても難しく、経験したことを消化したり、理解する時間が不足している。人間の時間感覚は、脳が保存している記憶の量と密接につながっており、細部までよく覚えているような場所や状況についての時間は長く続くように感じ、インターネットで過ごした時間は飛ぶように過ぎていく。

クレア・オースチン

過去数十年間、仕事の不安定さや、競うように長時間労働をするといった誤った文化が広がったことで、職場に関係するストレスが上昇してきた。仕事の種類を問わず、私たちは常に「燃え尽き症候群(バーンアウト)」のリスクにさらされ続けている。燃え尽き症候群は回復への十分な時間がなく、ストレスを調整する能力が失われた際に生じるが、抑うつ症状や心臓疾患、糖尿病など、心身両面に不調を来すリスクを飛躍的に高める。

この植物の名前が分からなくなってしまった!記録を遡っても分からない!

バーンアウトからの回復

スウェーデンのアルナルプ農業科学大学のパトリック・グラーンたちは、過去15年以上に渡って、ガーデンニングを用いた燃え尽き症候群の治療にアプローチしてきた。ガーデニングは12週間でプログラムされ、チームには作業療法士、理学療法士、心理士、園芸家が参加している。

患者の大半は女性で、教育、看護、医療、法律などの専門職に就いている。患者の多くが、向上心の高い実直な人間で、仕事の過重負担と家庭の事情が重なって健康を損なっていた。不安症に苦しみ、心身両面で活力が不足し、集中力や決断力をも発揮するのが難しい状態である。さらには、仕事ができない(休職をしている)ことへの罪や恥の意識と感情にも苦しんでいた。これまでガーデニングの経験がない人がほとんどだったが、1週間に4日、午前中の活動に12週間参加する。

このあいだまで覚えていたのだが(ような気がしている)…うーむ、、分かる方がいれば教えてください

参加して数日後、少し落ち着いたところで、患者たちは1人で過ごせる静かな場所を選ぶことができる。自然の多い場所にマットレスを運ぶ人もいれば、ハンモックや揺れ椅子、ガーデンルームのベンチを使う人もいる。ここのガーデンルームの一つには、特別魅力的な小さな森の一画がある。

5月にはさわやかな緑色が映え、その中に白いチューリップが咲く。秋にはススキが茂り、他の場所から遮る壁のようになり、静かな場所を作っている。傍のカツラの木からはシナモンの香りが漂い、苔に覆われた石が池の周りを囲んでいる。樹木と石と水の存在はガーデンデザインにとって重要な要素である。精神分析医のハロルド・サールズは1960年代の著作の中で、人々が自然から離れていくことを危惧し、自然と繋がることによる治療効果を指摘している。

アルケミラとヒューケラ

自然と触れることは時間を超える

アルナルプ大学で働くヨハン・オットソンは、20年近く前に自転車事故に遭遇して頭部に重傷を負い、完治しない障害が残った。後に彼はこの時の体験を「危機に直面した時の自然の重要性 “The Importance of Nature in Coping with a Crisis”」という論文に書いている。彼は心的外傷によってどれほど深く心理的なつながりを失ってしまったのか、そしてそこからの回復にとって自然と触れることが、自分自身にいかに影響を与えたのかを書いている。

「庭仕事の真髄」第7章 花の力

怪我から回復し始めた時、病院のまわりの公園を散歩できるようになると「手付かずの石」が自分に話しかけているように思えたという。それらの石は「静寂と調和」を事故以来初めて体験させてくれたのだという。

彼はそこから何度も石を訪れ、石を通して自分自身を周りの世界へと開くことが出来た。彼の人生は事故の一瞬で変わってしまったが、石が持つ時間を超えた性質は彼を安心させる効果を持ち、彼の心を深く安定させた。石は人間が初めてその前を通り過ぎるよりもずっと以前からそこに存在し、数えきれない世代の人間たちが、それぞれの命と運命を持ってその前を通り過ぎて行ったのだ。

ユーフォルビア フロステッドフレーム

アルナルプの患者たちは、オットソンが経験したように樹木や水、石との関係を通して心の安定を少しずつ取り戻して行く。1、2週間すると好奇心が戻り、庭のあちこちを探索するようになる。さらに、およそ6週間後には患者のほとんどが質の良い睡眠を取り戻し、心身ともに活力が改善してくる。この頃には長時間の庭仕事もできるようになり、労働と休息との切り替えを適切に取れるようになってくる。

庭仕事は繰り返しの活動が多く、そのリズム感から心と身体と環境が調和的に機能するようになってくる。ある活動に完全に没頭し、集中できる心理状態に入ることを「フロー状態」と言うが、この時には副交感神経の働きが強まり、エンドルフィンやセロトニン、ドーパミンなどの抗うつ性の神経伝達物質のレベルが上昇するため、楽しくリラックスした状態での集中を持続させることができる。

去年?一昨年?に植えた植物のタグが物置から発見されまして「ゴールデン・ハニーサックル」

フロー状態

「フロー状態」について初めて記述したのは心理学者のミハイ・チクセントミハイである。スポーツ選手や芸術家、音楽家、庭師、工芸家などは一定の「ゾーン」に入る活動に従事することが多く、行っている仕事と自分自身が一体化していると感じることができる。

ゾーンに入っている時には、無我の境地となり、時間は飛ぶように過ぎて行き、すべての行動や動き、思考は自動化されたように進んでいく。フロー状態は周期的に繰り返す活動であれば、その全てで起きる訳ではなく、十分に集中していることと、技能と課題のレベルが合っている時(簡単過ぎても、難し過ぎてもだめ)に生じることが多い。

寒くて雨続きの庭

フロー状態は「我を忘れている」かのように言われることもあり、楽しく、かつ伸び伸びとした気分になるが、この時、前頭前皮質の活動は鈍化していると言われている(一時的に前頭葉の機能低下が生じている)。すなわち、自分自身を評価することや内省をする頻度や機能が低下している。抑うつや不安の症状に苦しむ人は、前頭前皮質と扁桃体の結びつきが強くなっており、ネガティブな感情や記憶が多く反芻される傾向にあるが、フローはこのような状態に対してポジティブな影響をもたらすことができる。

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自然は色々な時間の流れに気づかせてくれる

アルナルプのプログラムに参加した患者の追跡調査では、患者の60パーセントが1年後までに何らかの仕事や職業訓練に就いており、主治医による診察も平均して年間30回だったのが5回にまで減っている。患者に行ったインタビュー調査からは、自然を取り入れたことが治療的観点にとって重要であったことが分かっている。

自然に近いところで時間を過ごした参加者が学んで行くのは「何事にも最適の『時』がある」ということである。私たちは過度に精神的な負荷を受けると生きている意味を失ってしまうことがあるが、適切な時に休息を取ることによって生きることへのつながりを取り戻すことができる。休息を取ることは、時間を失うことではない。

そして自然と接していると、植物の芽生えや樹木、岩石などの生命サイクルに触れることが出来、それらが人間のサイクルと比べ、短いものもあれば、はるかに長いものもあることに気づくことができる。庭で体験することのできる多種多様な「時間」は治療にとって重要なファクターとなっている。植物を育てることは人間に生き方を教えてくれる。庭の面倒を見ることで、私たちは自分を思いやる感覚を見出せるようになる。

デイム・ジュディ・デンチ

ガーデニングは時間のスピードを調節する薬のようなものと考えることができる。植物の成長サイクルは私たちと時間との関係を変化させる。エセックス大学のジュールス・プリティーは自然が精神の健康に対してきわめて重要な効果をもたらすと考えている。ハイキングや釣り、バードウォッチング、ガーデニングなど、自然の中で過ごす活動を行うことは、ストレスからの回復に効果があるだけではなく、その後のストレスに対処するのにも役立つ(レジリエンスの力が高まる)。

市民農園に関する研究では、農園をやっている人の方が、そうでない人々よりも健康状態が良いということが分かった。農園を耕すことは、緊張や怒り、混乱などのレベルを抑えるのに役立っている。週に1回、30分の活動でも気分や自己評価に有意な改善をもたらすことができるという。

デイム・ジュディ・デンチ

主体性の感覚を取り戻す

神経科学者ケリー・ランバートは、私たちが自分の暮らしを変えることができると信じるのは、身のまわりの物を実際に変化させることを通じて生じると考えている。私たちは自分が行った行動が何らかの結果をもたらした時に、自分や自分の周りの世界をコントロールでき、世界とより深くつながっていると感じることができるようになる(当たり前のことのように思えるけど、現代社会に生きる自分たちは、意外とこの当たり前の感覚が得られにくくなっているのかも)。

ランバートによると、脳は本来、環境をうまく操るように調整されているが、この機会や経験が少なくなると、世界とのつながりやコントロールしているという感覚が失われ、人間は抑うつや不安に対して弱くなってしまうのだという。

夏の陽射しで苗が大量に枯れた

ラットを用いた動物実験では、同じようにエサを食べるという行動でも、受け身的にエサを与えられた群よりも、自らエサを得るために何らかの努力をしなければならなかった群の方が、より強い判断能力を示すことが分かっているのだとか。

同様のことは人間にもあって、自分が人生の状況に影響を及ぼすことができるという能力があると(つまり、そう思えると)、楽観的な思考や感覚を持てるようになるようだ。ランバート曰く、人間には常に自分を後押ししてくれる存在や、自分は何かをコントロールすることができると思い出させてくれるものが必要で、これにより脳内の「努力主導の報酬回路」が活性化し、様々な生理的機能や脳内神経伝達成分を変化させることができる、とのことである。

ランバートはさらに、私たちが「手」を使って働くことの重要性を指摘している。DIYや手芸なども手をより多く使う作業や仕事だが、ガーデニングはその中でも「作業や結果内容が予測しにくい」ということが、より良い影響を私たちにもたらしているのだという(このあたりの文章が特に難解で、意味を取るのが難しいのだけども、、以下、自分なりの理解と解釈で失礼します。。。)

ガーデニングではしばしば、自分が予測したこととは異なる結果に遭遇することが多い。天気や気候の思わぬ変化、季節の移り変わりに加え、植物特性や土壌環境、病害虫の動きなどさまざまな影響が相互に複雑に絡み合って推移して行く。ガーデナーたちは、そのような中でも経験や知識、そして実際に自然と触れ合う中で感じる感覚を元にして、予測を立て、行動を計画し、それをできる範囲で実行に移して行く。

そして思った通りの結果が見えてくることもあれば、また予想とは異なる結果になることもあり、さらにそこから新たな計画を組み立てて行くとという営みを繰り返して行く。美しい花や葉を見たり、収穫物を得ることも大きな喜びだけど、それに加えて、この「予測と計画」の一連の過程がガーデニングの難しさでもあり、楽しさの本質なのかもしれない。そして、この過程こそが生命の連続性であり、私たちの心の安定と感情を前向きにさせることに大きな影響を持つ(なんとなく分かる気がする。)

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