「庭仕事の真髄」第7章 花の力

クロード・モネと花

哲学者イマヌエル・カントは、私たちがいかに「(自由に)美を感じるか」ということについて、花を用いて説明をしている。私たちは美しいものを見ると、美しいと分かる。美は人間の目をくぎつけにし、意識を満たすことができる。

画家クロード・モネは「おそらく私が画家となったのは花のおかげだと思う」と書いている。花々はモネに色彩と静寂と調和の強烈な世界を広げて見せた。モネにとって、ガーデニングと絵を描くことは同じ芸術的な活動であった。第1次大戦中に敵軍が接近してきた時も彼はジヴェルニーの庭にとどまり、花から離れることを拒んだという。

庭の花と憧れのモネの庭

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ジヴェルニーの庭(ウィキペディアから引用)

ジグムンド・フロイトと花

精神分析学の創始者であるフロイトも花を非常に愛した。フロイトは子どもの頃、ウィーン近くの森の中を歩きまわって希少な植物や花の標本を集めた。フロイトは花に非常に詳しく、アマチュア生物学者の域に達していたという。成人後には定期的に山歩きをしたり、執筆活動をした。

フロイトは美が人間に対して持っている影響力に驚嘆し、「美の喜びは穏やかに人間の感情を酔わせる特殊な性質を持っており、(美は苦しみから人間を守ることはできないが)苦しみから解放する力がある」と述べている。美が私たちに与える影響とはどのようなものだろうか。著者は美に対する私たちの反応は、愛を体験する能力と関係があるだろうと書いている。

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神経美学(美しいものを感じた時の脳の働き)

神経科学者のセミール・ゼキは、人が美を必要とするのは、生物学的構造の中に深く埋め込まれているためだと主張している。ゼキは私たちが美を体験した時の脳の活性化のパターンを分析している。

彼が行った実験では、実験参加者に音楽とモネの絵を含む美術作品を鑑賞させ、それに対する脳の反応を確かめた。実験参加者が美しいと感じた時、脳の眼窩前頭皮質、前部帯状皮質、尾状核の活動のパターンが一致していた。これらの部位は喜びや報酬を得た時に活動し、ロマンティックな愛情とも関係している。

「庭仕事の真髄」第5章 街中に自然を運びこむ

これらの神経回路はさらに思考や感情、動機づけなどを統合する働きをしており、ドーパミンやセロトニン、内因性オピオイド系と関連があることから、恐怖やストレス反応を鎮める。つまり、美は私たちの精神を鎮める働きと活性化させる働きの両方を同時に行っているのである。

人間が美を感じるものに共通しているのは、規則正しい秩序と変化が反復するパターンの特徴を持っているものである。そしてこの要素が自然の中で最も凝縮されているのが花である。例えば、野の花の多くは5枚の花弁が五角形の左右対称に配置されている。ゼキはこのような美の特徴やパターンが数学的な形式としても表すことができるのを検証している。

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花と昆虫はギブアンドテイクの関係

顕花植物(花を咲かせ実をつけて種子ができる植物)が地球上に登場したのは、恐竜時代以降のことである。植物たちは繁殖するために多種多様な色彩や形、香りを使って昆虫や鳥、コウモリなどをおびき寄せるよう進化してきた。特に昆虫と花の間には互恵関係があり、両サイドに利益があるように共進化してきた。この例の中でも究極的なものがアングレカム・セスキペダレという星形のランの花である。

アングレカム・セスキペダレ(ウィキペディアから引用)

1862年チャールズ・ダーウィンはマダガスカルでこの花を見つけた。この花には30センチもの深さの袋状の突起があり、その中に蜜が蓄えられている。すなわち、この蜜に届くだけの長い口を持った昆虫の存在があるはずだとダーウィンは考えたが、当時は発見されることがなく、40年後に長い舌を持ったスズメガが発見された。

「庭仕事の真髄」第1章 始まり

昆虫が集めることができるのは蜜だけではなく、花の香りを集めるものも存在している。熱帯雨林に生息しているシタバチの雄は昆虫の調香師である。立ち寄った花から次々に香りの見本を集め、混ぜて後ろ足の匂い物質収容器に貯蔵し、好みの香りに調香して行く。ハチそれぞれの香りに含まれる花の香りの複雑さは、そのハチの行動範囲と食餌の技の幅広さを示すものだと考えられており、パートナーを見つけるのに役立っている。

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花の香りが持つ効果

ハチと同様に私たちも花から様々な快を得ることができ、ほとんどの人にはお気に入りの花があるものだ。フロイトはランを特に気に入っていて、毎年の誕生日には同僚や友人たちから沢山の花を贈られた。彼のお気に入りのランはニグラ・バニラランという高山性のもので、暗い赤紫の花にスパイシーなチョコレートとバニラの芳香がある。彼が山歩きに出かけた時、この希少な花の群生を発見して花を一束取り、奥さんのマルタにプレゼントしたのだという。

種まきサルビアを植えた

詩人ヒルダ・ドゥリトル(H.D.というペンネームで知られている)はフロイトの1930年代初めの患者だった。彼女がフロイトにスイセンを贈った際、その強い香りにフロイトは大きな衝撃を受けた。その時の様子をヒルダは「彼の無意識に殴りこんでしまった」と表現している。

嗅覚よりも効果的に無意識のカギを開けるものはない。フロイトはスイセンの甘くて、人によっては鼻につくともいえる香りについて「私の一番のお気に入りに近い」と表現した。フロイトの家族が休暇を過ごすために借りていたザルツブルク近郊のアウスゼーにあった家のまわりには、野生のスイセンが生えており、この場所は彼にとっての「楽園」であった。

Googleマップでオーストリアのアウスゼーを見てみると、とても素敵な街並みだった。ジグムント・フロイト通りというところもある。道路横の植え込みのレベルが高すぎる!

花の香りが持つ化学的成分は気分を高めることもあれば、警戒させることもあり、リラックスの効果など、人間の感情に様々な影響を与える。ラベンダーには昔から鎮静効果のあることが知られているが、近年の研究では脳内のセロトニンレベルを上げることも示されている。

これとは対照的にローズマリーの香りは刺激的で、ドーパミンとアセチルコリンの両方のレベルを高める。柑橘類の花はセロトニンとドーパミンの相乗効果で気分を上向きにする。バラの香りはストレスホルモンのアドレナリンのレベルを30パーセントをも下げるという研究成果も出ており、加えてフェネチルアミンの活動を通じて、内因性オピオイドの分解を減らし、穏やかな感情が長続きするようにもなる。

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最古の花の記録

人間が花を愛するようになったのはいつからか?進化心理学者スティーブン・ピンカーは、人間が花に惹かれるようになった理由の一つとして、花が未来の食料供給を示すからだと主張している。

花が咲いているということは、その植物の実や果実を収穫できる可能性を示しており、花にはハチが来るため近くには花の蜜があることが多い。狩猟採集民の居住地で発見された最古の花は、二万三千年前のイスラエルにあるガリラア湖畔のオハロ二世のものだった(これは王様とかの名前ではなく、遺跡の場所の名前らしい。遺跡からは食料にした動物の骨や植物などの有機物がとても良い状態で発見されたらしい)。

遺跡からはこの地方特有の小さな黄色いキク科キオン属の花が沢山集められていることが分かった。この花が何に用いられていたのかは分かっていないが、儀式用かその他の特別な行事のために持ち帰られた可能性があるという。

オレガノ オーレウム

花が入れられていた最古の墓は、これもイスラエルにある一万四千年前のナトゥーフの埋葬地であった。この時代の花は野生のものを摘んできていると考えられているが、人間が花の栽培を始めたのは驚くほど早い時期で、およそ五千年前のことと言われている。

心理学者ジャネット・ハビランド・ジョーンズと遺伝学者のテリー・マグワイアは、私たちの祖先たちが花を育て始めた動機として「喜び」という感情の役割を過小評価してはならないと論じている。元々は農業をするために開墾された土地であっても、そこに花の種が偶然に落ち、花をつけるまでに育った場合、人々がもしその花を気に入ったとしたら、その後の園芸品種を作出するプロセスのように、最も香りの良いものや最も魅力的なものが何世代に渡り繰り返し選び出されたに違いない。

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花は命の意味を教えてくれている

花は私たちの気分を高揚させ、暮らしの中の感情的な側面を豊かにする。慈善団体レモン・ツリーはシリアの難民キャンプで庭をつくる活動を始めた時、花の持つ価値を発見した。キャンプでは食料が不足していたにもかかわらず、難民たちに育てる植物を選んでもらったところ、およそ70パーセントの人が食べられる作物を選ばずに花を選んだ。

花は祖先たちにとっても心を慰める最初の物語を用意してくれたのかもしれない。先史時代、人類に自己意識が芽生えるのと同時に、私たちの祖先は離別の経験と死すべき運命を知ることになった。このような存在に関わる困難な出来事はその後もずっと私たちにつきまとい、疑問を投げかけ続けている。命の意味をどのように理解するか。生きることから派生する痛みにどう対処すべきなのか。花の命には信頼できる何かがあり、死を目前にして分解されることへの恐れから守ってくれる。

ドクターアレキサンダーフレミング

花は束の間限りのか弱い存在だが、連続性を伝えてくれる使者である。今を盛りと咲く花も死ぬ運命にあるが、その果実は生き残り、その種からさらなる花を咲かせる。古代エジプト人は花を聖なる使者と考え、自分たちの寺院を花輪や花束でいっぱいにした。

彼らが育てていた花はジャスミン、ヤグルマギク、アイリス、スズランなどで、中でもハス(蓮)は最も神聖な花だった。ハスは生まれ変わりの秘密を握っていると信じられており、その甘く強烈な香りは官能的世界と神聖な世界とをつなぐ橋のように、心を高みへと運ぶものと言い伝えられている。

フロックス パニキュラータ ノーラレイ

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