「庭仕事の真髄」第6章 ガーデニングのルーツを探る

ガーデニングのルーツを探る

人類のガーデニングの始まりは先史時代まで遡ると思われるが、道具や彫刻などの工芸品の歴史と異なり、「ガーデニングをしてました!」というような記録はほとんど残されていないという。近年の土壌と植物の分析の技術により少しずつ様々なデータが見つかってはいるものの、自然のサイクルの中で失われてしまっている。

ガーデニングの最初期のものは、東南アジアの熱帯雨林で発生したとされている。ボルネオのジャングルの土壌と降雨のパターンの分析から、5万3千年前の最後の氷河期に火を用いて土地を肥沃にし、太陽光が入るようにしていた(焼畑農業の黎明期的な感じだろうか)。

「農耕する”cultivate”」とは野生を飼いならし、まわりの環境を整えて生活を豊かにするということ。ここから文化が始まったということで「文化”culture”」という語は土地を耕し、植物を栽培するというところに起源がある。

ホスタ

巻き貝や昆虫も農業をしているらしい

自然では食うか食われるかの関係が支配的だと考えられがちだが、協調関係も多く見られる。そのうちのいくつかには農耕と似たような形態がある。南アフリカ西ケープ州の潮だまりに生息しているカサガイ(巻貝の一種)は、自分たちの餌場を管理している。

カサガイ(Wikipediaから引用)

それぞれのカサガイたちは、茶色いイソイワタケという藻類の「庭」を持っている。カサガイはまず始めに、イソイワタケが生える岩の表面を強力なやすりのような舌で削りきれいにする。次にイソイワタケが岩の表面に群生し始めると、カサガイはそれ以外の望ましくない藻類を雑草のように取り除く。こうしてほどなく柔らかくて、栄養豊富な自分だけのイソイワタケの畑を持つことになる。

カサガイの排出物は肥料となり、貝殻の下に水を蓄えては放出を続けるため、潮が引いている間にも藻類を乾燥から守ることができる。こうしたメンテナンスと除草の繰り返しにより、庭は最高の状態に保たれる。興味深いのは、カサガイが藻を食べる速さは、藻が育つ速さを決して超えないという点である。このカサガイとイソイワタケの共存は持続可能な共生方法と言える。

「庭仕事の真髄」第1章 始まり

他にもハキリアリは地下に菌類の畑を作っているし、最近発見されたフィジーのアリは、スクアメラニアの種をまいて種子を育てている。大きな労働力で農耕をするアリたちは、人間の農耕作業にも似た活動であり、人間の栽培向きに適応した多くの植物のように、ハキリアリが栽培している菌類は単体で増えることが難しく、アリの手助けなしには成長できないのだという。「農耕をする」アリや「園芸家」のカサガイに加えて、シロアリと甲虫の仲間にも「農耕」を行う種があり、種まきをする虫もいる。しかし、哺乳類の中ではホモサピエンスのみが唯一園芸をする生物である。

庭の始まりは「ゴミ捨て場」

庭の起源を探る中で、庭がどのように発生してきたのか?という問いについては、2つの考えが提唱されている。一つは「ごみ捨て場説」というもので、1950年代に民族植物学者エドガー・アンダーソンによって唱えられた。

彼は狩猟採集民が1か所で長く暮らした際に、食べた果実の種と排泄物が一緒くたになり、そこから発芽し成長した植物から利益を得たのではないかと考えた。例えば、ヒョウタンやカボチャ、アマランサスやエンドウマメなどは、それほど手をかけなくてもこのようなゴミ捨て場で成長することができる。その中から必要で有益な植物のみを保護しておくことで、それがすなわち家庭菜園の誕生となる。

「ごみ捨て場説」は広く受け入れられており、生物学的にも妥当性が高いのだという。(たしかになるほどその通りなのかもしれないけど、、なんだかとても雑な説に感じてしまうのは自分だけ?さらに詳しくこの説について調べてみると納得感がえられるのかな。)

儀式で用いた場所が庭になる

もう一つの説は20世紀の民俗植物学者チャールズ・ハイザーによって提唱された「儀式によって生じた説」である。民俗学上の記録によると、狩猟採集民の中には収穫物を神々への捧げ物として残しておく民族があり、いくつかのケースでは、種子を取り出して土に返し、その場所に石で印をしていた。

こうした儀式が行われた際に種子がばらまかれて土に埋められるため、そこに偶然庭ができたのではないかとハイザーは推測した。儀式で用いられた神聖な空間が庭になることから、太古の記録からも宗教的寺院はどこでも専用の庭があったことが示されている。つまり、儀式を行った神聖な場所が庭となり、神聖な庭があるのでそこに寺院を建てたという流れである。

今日、芸術の起源において宗教的な儀式が大きな貢献をしていたと考えられるが、農耕に対しても同じではないかとハイザーは考えた。しかし彼自身も述べているが、この説は推測の域を出ない(推測の域を出ないみたいだけど面白い説だなと思う。だけれども、こちらの説についてもちょっとストンと落ちる感じがしない・・)。

「庭仕事の真髄」第2章 緑の自然と人間の中にある自然

第6章ではこの「儀式説」の具体例として、パプアニューギニアの原住民のタロイモやキャッサバの栽培を紹介している。これらが単に畑や庭で作物を育てることに留まらず、植物の手入れをすることがある種の神聖な儀式と関連していることを検討している。

庭づくりをすることは人類の大切な営み

心理学者ニコラス・ハンフリーは人間の意識の進化に関する研究の中で、私たちの種の発展において最も影響が大きかったのはホモ・サピエンスの社会知性であると主張した。人間は非社会性のものを社会性のあるものへと適合させる傾向があり、農耕の始まりはこの性質に大きく依存していただろうと主張を展開している。

庭づくりをすることは、私たちのDNAに組み込まれている訳ではないが、植物の習性や特徴を理解しようとすることや、植物を育て、見守ることは、人間がこれまで発展し生きていく上で必要不可欠なことであった。植物を育て、ケアをすることは、霊長類の中でも人間が他の種と大きく異なる特徴の一つであり、この性質は植物に限ったことだけではなく、他の人間と食べ物を分け合ったり、病人の世話をするといった社会性の形成にも関連するものである。

人類学者ティム・インゴルドは「まわりの世界のケアをするのは人間のケアをするのと同じだ。深い、個人的な、愛情に満ちた関与を必要とするからだ。心と身体だけでなく、分けることのできない存在全体としての関与だ」と述べている。

コースト・セイリッシュの歴史

19世紀の植民地主義の時代には、現地の人々がその土地と古くから深い関わりを持っているということが理解されなかった例で溢れている(植民地にしようと入った西洋人たちは、その土地とそこに住む人々が深くつながっていることが理解できなかったのだろう)。

1843年生まれのイギリス人探検家ジェームズ・ダグラスは、北米大陸の北西海岸にあるバンクーバー島の南側の岸辺に上陸した時のことを記録している。彼は雇われた会社に新しい貿易拠点が出来そうな農地を探すよう命じられていた。彼がその土地に上陸した際に見た草原には、数種類のユリの仲間とカマシアの群生があり、何百万というチョウが舞う美しい風景が広がっていた。

彼はこの風景を見て「完璧なエデン」と書き残しており、ここを人間の手が入っていない未踏の土地だと考えたが、それは誤りであった。実際ここは、この土地で何千年もの間狩猟採集をしていたブリティッシュ・コロンビアの先住民コースト・セイリッシュの居住地だったのだ。

彼らは夏の間は季節ごとの仮住まいに暮らし、冬場は村に定住して、鮭と地下茎(植物の根とか球根とか?)やイチゴで生活を維持していた。男性は狩猟と漁労に出かけ、女性はさまざまな植物を育てて食料にしていた。スギナやシダ類、ハナウドやクローバー、果物や木の実を集め、カマシアやユリなどの食べられる顕花植物の球根を掘ったりもしていた(しかし、ダグラスは彼らが食料を得るこの土地を「未開墾の荒れ地」としか認識できなかった)。

カマシア(ウィキペディアから引用)

彼らにとっては、藤色の花をいっぱいに咲かせた草原と巨木のある場所は、聖なる場所と考えられており、それぞれの場所は庭であり、家族単位で自分の畑の世話をし、母系の子孫へと代々受け継がれてきた。カマシアが初夏に花を咲かせると、人々は仮の住まいの準備を始め、再開とお祝いの集会を楽しんだ。

草原の美しさは人々の喜びに文字通り花を添えた。女性たちは何日もかけて掘り棒を使って土を耕し、雑草を抜き、石ころを取り除いた。大きめのカマシアの球根は集めて収穫され、小ぶりなものは再び土に戻し、「野生の」カマシアを移植したりもして蓄えを増やしていった。

カマシアに非常によく似た白花の「死のカマシア」は非常に毒性が強く、これらの球根は注意深く取り除かれた。開花期でなければ見分けることは困難で、球根も葉も毒性を持っているため、誤って口にすると多くの場合死に至る。新しく開墾された畑は土壌改良のために海藻で覆ったりもされたが、多くの場合は秋に焼畑をすることで土壌を豊かにした。この季節的な焼畑により、低木がはびこることもなくなり、カマシアの生育環境を整えることが出来た。

エキナセア

収穫されたカマシアの球根は見た目は小さな玉ねぎのようで、大きな鍋で何時間も煮たり、地面にしつらえた直火オーブンで焼いたり、時には何日もかけて栗のように柔らかく甘くなるまで加熱された。味は焼いた梨のようだと言われている。一度加熱された球根は、そのまま食べるか、天日干しにして冬の間の食料となった。カマシアの栽培が炭水化物を得るために行われているだけだとするならば、より少ない労働力で収穫のできるジャガイモに切り替えることも出来たが、彼らにとってカマシア草原の耕作は文化の中に根付いており、球根は珍重されていた。

ハーバリウム作りに挑戦してみた

ダグラスたち入植者が入った翌年からは焼畑が禁じられ、この地域で古くから根付いていた生態系のバランスが崩れた。急速に成長する低木によってカマシアの球根は息の根を止められてしまった。草地の一部には鋤が入り、大麦やカラス麦、小麦が蒔かれ、牛や羊、豚など家畜の牧草地として使用されたりもした。

草原跡には交易所が建ち、ダグラスはこの土地での未来が明るいと考えていたが、夏場にはほとんど雨が降らない地中海型の気候や土壌内部の排水性を見誤り、入植者たちの農場の多くは失敗に終わった。植民地の人々はカマシアの球根を北米大陸の他の場所やイギリスへと、食用としてではなく、観賞用として輸出した。カマシアは著者の家の庭にも植っており、毎年春が終わって夏に入ろうとするころの2〜3週間花を咲かせている。丈の高い優雅な花穂は青く「じつに天国のような色合いで」、著者はこの花を眺めながらその過去を悼むのだとか。

デージー サニーサイドアップ

今年の秋に植えようと予約注文していた球根の中に、偶然にもカマシアを入れていたので、なんとも言えない縁を感じた。もしかしたら、我が家に届く球根もセイリッシュの人々が育てたもののクローンか、遺伝的繋がりがあるかもしれない。10月に届く予定なので、それから植えて来年に花を見るのが一層楽しみになった。

今年の秋植え球根はアリウムがメイン

動物が食べたり、人間が収穫したりすることに反応して、より一層活力を得たり成長したりする植物は数多い。これは動物と植物との間に存在する大事な相互関係である。コースト・セイリッシュの草原の庭は単純な採集から発展しているが、大きな球根を掘り上げて残りを地中に戻し、毒性のあるものを取り除くといった行動のすべてがカマシアをますます増やして行った。

2005年ブリティッシュ・コロンビアのヴィクトリア大学の研究者たちがこうした伝統的なセイリッシュの農法の効果を調べる実験を行った。手入れをしていない畑でカマシアの成長をみたものと、セイリッシュの人々が行ったサイクルで育てた畑では、数年後にセイリッシュ農法のカマシアが生命力豊かに生育し、より大きな球根を産出することができたのだという。

エキナセア ホワイトダブルデライト

庭と人間は相互に影響し合う

ガーデニングには常に人間よりも大きな力が潜在している。人間がどれほど影響を残そうとしても、庭自体が生き物で、人間がそれを完全に支配し、管理することは不可能だ。これは相互に影響し合う関係で、私たちも庭から何らかの方向性を与えられることがある。著者はこうしたプロセスを、庭作りをする人間の心の成長とみている。植物を育てている時、そこに「簡単な社会関係」が発生し得るという考えは、著者自身の経験や著者がインタビューをした多くのガーデナーたちも実感していることである。

ピンクのアナベル2

自然界とのギブアンドテイクの関係は、現代生活の中では危機的な状況にあるが、ガーデニングをしている人の多くがこの関係を理解できると言っている。ガーデニングについて書いているライターのロバート・ダッシュはこの点について「(ガーデニングの力の根源は)相互的な態度にある。私たちは庭の世話をし、庭から贈り物を受け取る」と述べている。

この種の関係は重要で、ガーデニングをすることは他者に対する尊敬の気持ちを育て、私たちは報酬を手に入れたと感じ、大地の実りへの感謝を経験する。地味な普通の家庭菜園は私たちだけのためにあるのではなく、私たちが何かを始めると、多様な生物が存在するようになり、それによって鳥や虫のための環境が生まれ、私たちの周囲は豊かになっていく。

そして生き物たちの生息地が生まれ、人間が他の生命と繋がっているという感情や、太古の源泉に触れているような感覚を持つことができる。様々な庭仕事を通じて、私たちは自然との間に密接な関係を築いて行くことができる。

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