目次
トッドモーデンのケース
イギリスのマンチェスターの北にあるトッドモーデンの町は、かつては繊維産業が盛んだったが、工場や関連する製造所はすでに長年にわたって閉鎖されており、一万五千人いる住人の失業率は何十年も高いままとなっている。2008年の金融危機の際には、誰もいなくなって廃墟となった建物が町内に続出し、それまで以上に復興に望みを持つことが難しい状況となった。
住民のとあるグループは、次の世代のためにもっと良い未来を作り出すにはどのような方法が考えられるかを話し合った。ただし、色々な方法を考える中でも一つはっきりとしていたのは「食べること」に関連すること。これが条件だった。なぜなら、人は食べなければ生きて行くことができないからである。
パム・ワーハーストとメアリー・クリアはこの前提を踏まえ、ある実験的なプロジェクトを始めた。彼らは最初に、町の中心部の荒廃した健康センターの土地にインゲン豆やその他の野菜の種をまいた。収穫できる時期になると「ご自由にどうぞ」という大きな立て札を立てた。これが「インクレディブル・エディブル(食べられるって素晴らしい)」として知られる運動の始まりとなった。この試みは町で大きなうねりとなり、ボランティアとして参加した人々は、町中のいたるところに野菜を植えるのを手伝った。
この運動では、灰色で見捨てられたような風景の場所に緑を取り込むことにも成功した。とある高齢者施設の近くにはイチゴが植えられ、精肉店の外にはローズマリーやセージ、タイムが植えられた。
どの野菜や果物も、そこを訪れた人が自由に収穫することができる。新しい健康センターの周りには小さな薬草園が出現し、カモミールやラベンダー、エキナセアなどのハーブ類や桜、梨などの果実が収穫できる木も植えられている。町中には合計で70箇所以上の食べ物を栽培する区画があり、誰もが自由に収穫することができる。トッドモーデンは都市が食料採集の場となった先駆的な例である。
野菜を育てることが町に与える効果とは
第8章のタイトルに入っている「ラディカル」という言葉は分かるようで分からない。ちょっとだけ調べてみる。
「ラディカル:radical」という言葉は大きく2つの意味で用いられることがある。1つは「あの政治家のやり方は、世間の批判を恐れずラディカルだ」というように「急進的」「過激」といった意味で、もう一つは「国際政治には言葉の壁というラディカルな課題がある」のように「根本的」「根源的」という意味である。
ラディカルという言葉は植物の世界の言葉から派生しており、語源であるラテン語の”Radix”は植物の根っこを意味している。これが転じて「根本的な」「根源的な」という意味へとつながり、さらに「物事の確信に迫ろうとする」=「根っこを掴む」が「急進的」「過激」という意味へと繋がっている。
「庭仕事の真髄」第6章 ガーデニングのルーツを探る
トッドモーデンの試みは、町の復興のための根本的な解決策とは行かないが、解決に向けた変革に影響を与える要素の一つとして機能している。
人々が実ったものを収穫し、それを料理して分け合う時に会話が活発になることで、今後自分たちが何を食べ、どう生きるかについてそれまでとは違った考えを持てるかもしれない(つまり、食料生産がすなわち町の復興へとつながわるわけではないけれども、その食料を育て収穫し、楽しむ過程が住民にさまざまな面で良い影響を与える。これは他の章でも何度も論じられていたことだよね。)。
ほどなくしてトッドモーデンの地域のコミュニティには変化が表れた。最初の変化は反社会的な行動と破壊行為が減ったこと。その後、カフェやレストランが開店し、地域で作られた産品が買えるマーケットが繁盛するようになった。
学校でもガーデニングが始まり、中等教育の学校には果樹園と菜園ができた。園芸の資格を取りたいと考えた若者向けに訓練コースが開設され、地方自治体がプロジェクトを後援した。最近の調査ではトッドモーデンの住人の四分の三が何らかの作物を栽培しているという。
隔週の日曜日には30人ほどの住人が集まって一斉ガーデニングを行っている。ボランティアの年齢は3〜73歳と幅広く、様々な階層の人々である。少人数のグループに分かれて、町中の色々な場所で活動する。ゴミを集める人もいれば、庭作業をする人もいる。その後に使われなくなった教会の中で簡単な昼食を取る。介護用住宅や介護ホームに住んでいるボランティアの人々にとっては、2週間に1度のこの行事は社会との貴重な接点の一つとなっている。
孤独はよく考えなければならない課題の一つである
メアリー・クリアは「孤独」という疫病と闘うことについて語っている。孤独はこの時代の一つの特徴であり、4人に1人が孤立感に苦しんでいると言われている。孤独が現代ほど広がった時代はかつてない。
最近まで、孤独がもたらす悪影響は主に心理面にのみに与えると考えられていたが、今では身体的な健康問題にも影響を与えることが知られている。社会との繋がりの欠如は、早期に死亡するリスクを30パーセント高め、この数値は肥満や日に15本のタバコを吸う事と同様である。孤独は公衆衛生上の大きな問題となっている(イギリスは世界に先駆けて「孤独担当大臣」を設置しているし、日本でも昨年から「孤独・孤立担当大臣」を置いた)。
人間は時代を超えてどんなに過酷な気候や地形でも様々な工夫をして住み着いてきた。しかし、北極であろうが高地であろうが、ジャングルや砂漠でも常に小さな団結したグループの中で生きてきた。
世界人口の大部分が自然からも人間同士の間からも断絶した状態で生きているというのは、私たちの種の歴史上で今が初めてのことである。トッドモーデンのコミュニティ・ガーデニングは両方の断絶状態に焦点を合わせている。人々は「ある場所」へと繋がり、「あるグループ」にも所属することができる。現代生活の危機の根本は、所属意識の危機であるとも言える。
「庭仕事の真髄」第7章 花の力
インクレディブル・エディブルの活動モデルはトッドモーデンにとどまらず、はるか遠くの地域まで広がりを見せている。120の非営利団体がイギリスにはあり、全てが同じ名称を使っている。世界全体で見ると1000を超えるグループが現在活動中である。
フランスではこのコンセプトが特に人気を博し「レ・ザンクロワヤーブル・コメスチーブル」と呼ばれている。インクレディブル・エディブルのネットワークは緩い提携関係にあり、それぞれのグループは異なるやり方で活動するが、人に優しく、緑が多い、より良いつながりのあるコミュニティを作り出すという同じ目標を共通して持っている。
オランイェツィットのケース
コミュニティ・ガーデニングの活動家マーク・ハーディングは2014年から南アフリカのケープタウンのオランイェツィット(発音するのムズっ!)で都市農園の運営を手伝っている。彼はそれ以前に20年溶接の仕事をしていたがリストラをされ、農場で働き始めるまでの3年間は失業とうつ病が続いた。若い頃は「都会の幻想」に惹かれていたが、大地に触れて働くことで回復力を感じ、自分のスキルはいつでも役に立つと安心感を得ることができるようになった。
オランイェツィットの都市農園は街の郊外にある古いローンボウリング場の跡地にある。ここは使用されなくなった後、ごみ捨て場になっていた。このプロジェクトには教育的な目的があり、1000人の子どもたちが毎年やってきて、種まきやコンポストづくり、栄養について学んでいる。地域の人々には食料政策について考えるようになってもらうきっかけを与えている。
球根植え作業つらい
プロジェクトの中で最も成功したことは、農場内でのフードマーケットだ。数件の屋台から始まったものが、毎週の大人気イベントとなり、今や市内の海岸通りで開催されるまでになった。マーケットは地域の40箇所を超える大小の有機栽培の農園やパンとその他の職人が手作りした食品を売る小規模の食品加工業者を支援している。このプロジェクトは人々の間に繋がりを作り、人種や社会的階層による障壁を打ち壊そうとするものだ。
ロサンゼルスのケース
ロン・フィンリーはアフリカ系アメリカ人の芸術家で、ロサンゼルス中南部を拠点にしているガーデニングの活動家である。ロサンゼルスのこの地域は米国国内でも非常に多くのファストフードの店と酒店があり、生鮮食品は最低限しか手に入らない場所だ。フィンリーは生鮮食品を買うために45分も車に乗らなければならないことにすっかり嫌気がさして、家の外の狭い歩道べりに野菜の種を蒔いて果物の木を植えた。
以前までゴミ捨て場になっていたこの細長い土地から、数ヶ月で野菜が取れるようになった。フィンリーはケールやトウモロコシ、ピーマン、かぼちゃ、メロンなどの収穫物を同じ通りに住む他の住人と分け合った。
しかし翌年、許可なく市の所有地でガーデニングをしたことに対して令状が送達され、植物は強制的に抜き取られた。フィンリーは市にすぐさま元通りにするよう申し立てを行なった。ロサンゼルス・タイムズ紙はこの運動を取り上げ、市当局は都市ガーデニングに関する規則を改正した。
フィンリーはその後、空き地に食物を栽培する人たちを支援するプロジェクトを運営しており、「ギャングスター・ガーデナー」と自分自身を呼んで「シャベルを武器に」というスローガンのもと、ガーデニングはかっこよくて、そして重要なものだと伝えている。
ガーデニングと犯罪率の関係
生物は基本的な生物学的欲求があり、自分の周りの環境に働きかけ、環境を自分に合うように形作っていくが、都市ではそれを自然に行うのが難しい。都市の環境が壊れる時には、様々なものが手に負えなくなってしまう。例えば、放置された空き家、ごみの山、割れたガラス、錆びた金属、人の背丈ほどもある雑草である。それらの状態が一定以上に悪化した場合、住民は屋外で過ごさなくなり、通りにはギャングや暴力事件の増加が見られるようになってしまう。
ようやく春がきた5月の庭
人口統計学上はっきりしているのは、命に関わる発砲事件は、最も貧しく最も荒廃した地域に集中している。
ある研究では、人々が家の近くの荒れた空き地を歩いて通り過ぎる時に、心拍数が急に1分間あたり平均して9回上昇することを発見した。住民は都会の荒れ果てた場所に慣れているのではなく、むしろそういった場所が恒常的に恐怖を感じさせる背景をつくっているのである。例えばシカゴでは暴力事件は主に市内の南側と西側に集中している。この地域は失業率が高く、何十年も公共サービスへの投資が削減されているところである。
2014年には2万箇所の空き地がシカゴ市内にはあり、そのうちの1万三千箇所は市の所有地であった。2016年に開始された「ラージ・ロッツ・プログラム」は、このようなシカゴ市内でも困難な地域で行われた都市の緑化プロジェクトである。最低5年間は売却しないことと、空き地を耕作するという条件に、自宅近くの空き地を住人が1ドルで買えるようにした。こうしてシカゴ市内の合計四千箇所の空き地が市民に分配された。
このような都市の「清掃と緑化」プロジェクトは、この二十年の間にフィラデルフィアで行われた一連の革新的な研究に後押しされている。
この研究はコロンビア大学のチャールズ・ブラナスらによって行われ、ペンシルベニア園芸協会の協力のもと1999年に開始された。ボランティアたちは市内にある何百という荒廃した場所や放置された空き地からごみや瓦礫を取り除き、きれいに片付け、芝生の種をまき、樹木を植え、低い木製フェンスを立てた。これらの介入がなされた地域は市内の中から無作為に割り当てられ、介入がなされていない地域との間で、長期に渡って比較・検討された。
犯罪率の差は驚くべきもので、2018年に発表された最新のデータでは、貧困地域でその有効性が最大であった。犯罪率は13パーセント以上減少し、銃による暴力事件はほぼ30パーセントの減少が見られたのである。研究の過程では、ある特定のアプローチが有効であることが分かった。
例えば、空き地を囲うのが同じフェンスであっても金網の場合には、人々は阻害されたかのように感じて、空き地をゴミを投げ入れる場所として使い始めたのである。対照的に木製の柵が使われている場合は、社交性に明らかな効果があった。背の低いフェンスは簡単に超えることが出来るし、そのフェンスの上に座ることも可能である。その結果、人々はこのスペースを活用してリラックスしたり、社交の場として利用するようになったという。近所の子どもたちも屋外で遊べる安全な場所として活用した。
庭にトリカブトを植えたかもしれない
ブラナスの研究チームでは、緑化された場所に住む人の6割が外出が前よりも怖くなくなったと感じていることを発見した。荒れ放題の環境は、自己評価を下げ、誰も気にかけてくれないのだという感情を引き起こす鏡のような働きをする。
自分は見捨てられている、忘れられているという感情がしつこくまとわりついてくると、抑うつ状態になりやすくなる。新たなに植物を植えて改良された空き地の近くに住む人々の抑うつ状態と精神の不健康の程度は、半分にまで軽減されたのである。フィラデルフィアの研究では、比較的低コストでも景観へ介入することが、健康と犯罪に対して深い影響を及ぼす可能性を示した。
シカゴのケース
市内に住む若者の暴力や薬物依存を断ち切るための方法として、都市農園の若者向けプロジェクトは有効である。シカゴ植物園は過去15年間で市内の貧困地区に11箇所の農園を開いた。その中の何箇所かでは、食べ物を栽培してビジネスを始めるためのトレーニング・プログラムも提供してきた。毎年5月から10月まで、15〜18歳の100人の生徒を採用し「ユース・プログラム」を行なっている。
このプログラムの管理者であるエライザ・フォニエによると、10代の子どもたちがプログラムに参加する時は、ほとんどの子が「植物が見えていない」状態だという。多くの子どもは家に庭がなく、屋外にスペースもない。植物を相手に働くのが好きかどうか想像もできない子どもばかりである。やってきたばかりの子どもたちにフォニエが最初に質問するのは「君たち、ピッツアは好き?」だ。すべての食べものが最終的に植物の命から始まっていることを子どもたちに説明する。
ワシントン・パークにあるユース・ファームは公園内の鋳鉄製の柵に囲まれた一角にある。周りには背の高い樹木が並び、芝生の中には立ち上げ花壇があり、都市農園というよりは庭といった場所である。
ファームは農園であると同時に子どもたちにとっての安全な居場所となっている。このような緑の避難場所で働くことは、ストレスを軽減し、学びを推進して社交性も向上させる。協力して働くことや対立が起きた時にはどのように解決するかも学ぶことができる。子どもたちは次第に自信を持つようになり、防衛的な態度が減ってくる。
このような成果を正確に評価するのは難しいが、このプログラムに参加した子どもたちの91パーセントが、そのあとも学業を続けているか、職業訓練に進んでいるという統計が出ている。この数値はこうした地域での人口統計グループから予想される数値よりもはるかに高い。
イリノイ大学による評価では、このプログラムが職業機会を創出し、家族の絆を強めながら、生活技術を身に付けさせることに優れていると結論づけている。家族の絆を強めるという点は、効果の幅広さを示しており、フォニエは「植物のケアをすることは、誰かのケアをすることについて語る有意義な方法である」と述べている。
引き継がれるべき大切なもの
私たちの祖先である狩猟採集民にとって、植物を識別して、どれが食用になるのか、薬として有用かあるいは有毒なものかを理解することは生存のためにとても重要な知識であった。
このような情報は世代から世代へと引き継がれ、知識を蓄積し洗練されてきた。しかしこのつながりが、わずか1世代か2世代でも切れると、それまでの知識や技術はあっという間に失われてしまう。19世紀に人気があった植物学研究は20世紀以降衰退してきた。多くの人が都会で育ち、植物は人間と無関係なものとなってしまった。
フォニエが述べた「植物が見えていない」という表現は、1998年に2人の植物学者ジェームズ・ワンダーシーとエリザベス・シュスラーが作り出したものである。2人は人間が植物や自然と断絶していくことで、私たちの植物を認識したり、知覚するためのシステムが閉じて行ってしまうことを危惧した。
ワンダーとシュスラーの観察によると、こうした植物を認識・知覚するためのシステムを開くには、それを導いてくれる存在が必要な場合が多いという。すでに植物の価値を知っていて、よく理解している誰かによって植物の世界へと案内される必要があるという。
庭の花と憧れのモネの庭
コミュニティ・ガーデンで著者がインタビューを行なったダニエルという若者は、10代のほとんどをオンラインゲームに明け暮れ、しばらくの間道に迷ったように感じていたという。自宅から数本先のコミュニティ・ガーデンへ初めて来た時、一体どうしていいか分からない気持ちだったそうだ。
彼にとって植物は「きれいだけど知らない世界」のように見えて、どう関わればよいか分からなかった。そこへ2、3歳年上のコーディネーターの男性がダニエルの担当になり、土に触れさせたり植物の世話の基本を手ほどきしてくれたという。ダニエルによると彼らは「自分の心を開いてくれた」のだという。
その後、ダニエルは植物が大好きになった。彼はガーデンで過ごす時間がどんどん増え、植物と過ごすことで変化が生じていった。その後、外国でしばらくの間ボランティアとして活動し、ギリシャの難民キャンプ内の学校でガーデニングを教えるようになった。
土を耕すことは変化への力を与え、私たちの中に眠る潜在能力を感じさせ、それを解き放ち、育てるきっかけを与えてくれるのかもしれない。