「庭仕事の真髄」第12章 病院からの眺め

自然が人の回復に与える影響とは

20世紀後半に設計された多くの病院は、機能性と感染予防を優先したため、利用者の多くを過度に不安にさせてしまう殺風景なものとなった。イギリスのほとんどの病院では、バクテリアによる感染予防として花のお見舞いを断っている。病院建物の多くは、日光や植物の緑、新鮮な空気が十分ではなく、患者やその家族、さらには働いている職員のストレスとなっている。

「庭仕事の真髄」第11章 庭の時間

刑務所では毎日屋外に出る時間が権利として認められているにも関わらず、病院に入院している患者は長期入院の人でさえも基本的には屋外で過ごす時間はない。ある研究者は、外の空気や日光を「忘れられた抗生物質」と呼び、その有効性について論じている。明るく空気の流れのよい病室は入院期間の短縮や感染症発症率が低くなるという。

雪白友禅菊

かのフローレンス・ナイチンゲール(1820-1910)は外の新鮮な空気やたっぷりの自然光が健康増進の要因となることを認めていた。1859年、クリミア戦争での看護の経験後、彼女は『看護覚書』の中に次のように書いている。

発熱患者たちが明るい色のたくさんの花を見て歓喜している様子を、私は絶対に忘れない。そして私自身も野の花のブーケを見て、その瞬間から回復が早まっていくのを感じていた。

その効果は心に対するものだけだと言う人もいる。しかし、そんな話ではない。(回復の)効果は身体にも表れる。形や色、光などが、どのような機序で私に影響を及ぼすのか、分かっていることは僅かしかないが、実際に身体面に効果があることは間違いがない。

看護覚書

ナイチンゲールは殺風景な小屋の中で看護されている患者たちが苦しむ様子を見ていた。看護師たちが切り花の入った花瓶や成長している植物を「不衛生」を理由として拒否しているところや、病人たちの色や形への強い望みが叶えられない様子を目撃していた。近年、ナイチンゲールが考えていたこれらの効果が見直されてきている。

すなわち、環境は治療とは別のものとして見なすべきではなく、患者の回復を促す基本的な条件の一つとして対応すべきだと考えられるようになってきたのである。英国医師会が2011年に発表した新ガイドラインでは、病院には庭を附設させることを推奨している。近年の多数の研究において、医療現場で自然の景色が有効であることの科学的な根拠が確立されてきている。

ヴァネッサ・ベル

窓から見える景色が与える効果

環境心理学者のロジャー・ウルリッヒは「窓からの眺めが手術後の回復に影響を及ぼす可能性」という主題の研究を発表している。この研究は、ウルリッヒが幼少期に病気で寝ている際に、窓の外に一本の木があったという実体験がヒントとなっている。

研究はペンシルベニア州の小さな病院で行われ、胆嚢の手術を行った患者たちを対象に行われた。患者は2つのグループに分けられた。一方のグループでは病室の窓から落葉樹が見えるが、もう一方のグループでは、窓から茶色のレンガの壁が見えるだけであった。両グループを比較したところ、樹木が見える部屋の患者は、より良好な回復を示し、もう一方のグループと比較してストレスのレベルが低く、前向きな雰囲気で、鎮痛剤の処方も少なくて済んだという。

ヴァネッサ・ベル

カンザス大学で行われた虫垂切除の患者を対象とした別の研究では、患者の全員がテレビを自由に見られる環境にあり(植物が持つ効果以外に、テレビを見ることなど病院内での気晴らしの要因を統制するため)、彼らを2つのグループに分けた。

片方のグループに属する患者のベッド近くには、花の咲いている植物が置かれた。このグループでは、もう一方のグループよりも機嫌が良く、不安も少なく、血圧も心拍数の測定値も低い状態となった。さらには鎮痛剤の投与も明らかに少なくなり、病院に信頼感や安心感を強める効果もあったという。これまでの章でも自然が健康に及ぼす有効性が繰り返し紹介されてきたが、それらの実験結果やデータもこれら患者たちに及ぼす効果と関連づけて考えることができるだろう。

ピース

自然風景を描いた絵は心を落ち着かせることができる

ほかにウルリッヒが行った興味深い研究では、病院内のアート作品の効果に関するものがある。病院内に飾る絵画は、その内容によって患者の心理面に与える影響が変わるという。スウェーデンのとある精神科病院での15年間に渡る記録からは、患者が破損させたり、攻撃をした絵画の種類は抽象画だけで、自然の風景が描かれたものにはそうした被害がなかったという。

さらに心臓病手術から回復する患者を対象にした研究では、自然の風景を描いた絵画は抽象画よりも患者の心を落ち着かせることが分かった。反対に抽象画に見られるような「直線」が描かれている絵は、患者たちに明らかにストレスを与えることが明らかとなった。理由としては、直線が「閉じ込め」や「外に開かれていない」といったイメージを与えるからではないかとされている。

グラハム・トーマス

ミラーニューロンは自然の動きにも反応する

19世紀のドイツ人哲学者ロベルト・フィッシャーは「感情移入」という言葉を最初に使った人物である。彼は私たちが自分の周りの世界を感じるための一つの方法として「感情移入」という現象があると主張した。この発想は現代の神経科学領域にも通じるところがあり、この複雑なプロセスは「ミラーニューロン」と呼ばれている。

庭の花と憧れのモネの庭

この特別な脳内の神経細胞は大脳皮質の運動野の中に存在し、私たちが他人の動きや行動を見た時、あたかも自分自身がその動きをしているかのように活性化する。動きを実行するための筋肉経路への伝達がないだけで、脳内では類似した、あるいは同様の行動をミラーニューロンで内的に模倣している。ミラーニューロンには様々なタイプがあり、母親と幼児の結びつきが形成される際の顔の表情のミラーリングにおいても重要な働きをする。また、共感する能力にとっても重要と言われている。

プリンセス・アレキサンドラ・オブ・ケント

最近の研究からは、このミラーニューロン細胞が、私たちが物理的な環境をどのように体験するのかということに、より深く関わっていることが明らかになってきた。神経科学者ヴィットリオ・ガルレーゼは、ミラーニューロンシステムを専門に研究している。彼によると、私たちが木から落ちる実を見た時や土砂降りで植物の葉に雨粒が落ちて飛び跳ねたのを見た時といったような自然物理現象においても、ミラーニューロンが働くのだという。

人間が他人の行動や動作を読むことと、環境の変化や動きを読み取ることには、実は大きな差はないのかもしれない。むしろ、ミラーニューロンという共通の神経基盤があるからこそ、私たちは自然や動物たちの動きを見て共感したり、心を動かされるのかもしれない。上昇気流に乗って滑空する鳥を見た時、私たちの内部でも同様のシミュレーションが生じており、あたかも一緒に飛行しているかのように、鳥の中に自分を投影させることができる。

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病気や身体が弱っている時に自然の中の動きを見ることの効果は、赤ちゃんがいつまでも揺れる枝など、動くものを飽きずに見ている時に生じる影響と、それほど大きく異なってはいない。十分に身体を動かせない時でも、自然の風景や動きを見ることで大脳皮質の運動野に適切な刺激を与えることができる。

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自然を楽しむことがセラピーになる

イギリスのバークシャーにあるレーヴンズウッド・ビレッジには、重度の知的障がいを抱える人のためのホームがある。ここには、様々な形をした葉や花、食べられる実を持つものなど、豊富な種類の植物を集めた庭がある。

庭の全体の構造は曲線的で、探検したくなるような、あちらこちらで交差する小道もある。小さな沼地、砂利の庭、魚の住む池、小さな草原の一角など異なる性質を持つゾーンもある。住人たちは、これらの多様な感覚に浸ることが出来、外の世界で味わえる開放感を喜んでいるように見える。

アブラムシとの戦い「アーリーセーフ」を使ってみた

ここでは、セラピストと患者が一緒に庭内に座り、患者の感情に合わせて、呼吸や発声、目の動き、その他身体から出るサインなどのパターンに合わせ、セラピストがミラーリングのように同じ反応を返す、という治療的介入を行っている。これは母親と乳児期の子どもが行うミラーリングに似ていて、相互的なコミュニケーションの基礎となる。この治療的介入は室内よりも、自然の中で行う時の方がより、効果があると言われている。

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庭内にはまた別の治療用の庭があり、同じデザイナーが設計したものだが、全く異なる雰囲気を持っている。荒涼としていて、直線的で、感覚的な豊かさをあえて少なくしている。この庭を使う住人は重度の自閉症で、自然の変化のしやすさが極度の不安を引き起こすことがある。そのためこの庭には、色を変えたり、落ちたりする花や実のなる植物はなく、高度な予測性(なるべく極端な変化のない)を保った構造が作られている。

それじゃあ、自然の持つ効果が少ないのだから(そのように思われるのだから)、室内環境で過ごすほうが良いのではないか、というとそんなことはなくて、室内空間の方が環境の予測可能性は確かに高いけれども、その中では行動が制限されているような感覚が大きくなり、過度に興奮をしたり、長時間同じところを行ったり来たりするような症状を見せる患者もいるという。

そのような時、庭の中での常緑の空間や外の新鮮な空気が、患者のネガティブなエネルギーを晴らすのに役立ち、しばらくの間、ブランコやシーソーに乗って運動することで落ち着く人もいる。これまでの章でも見てきたように、庭の持つ自然の豊かさが複雑になればなるほど、治療的な可能性は大きくなるという一般法則からすると、この庭は例外である。

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自然の持つ治療効果の可能性

著名な神経学者であるオリバー・サックスは、ベス・アブラハム病院勤務の時代に、よく患者を連れてニューヨーク植物園へと散歩に出かけていた。彼は「音楽」と「庭」が慢性の神経疾患にとって重要な効果をもたらすと考えていた。パーキンソン病やトゥレット症候群といった精神神経疾患の患者は、自然の中へ出ると一時的に症状が収まることがある。他にもアルツハイマー病や注意欠如・多動症(ADHD)の人に対しては、自然が心を落ち着かせ、集中させる効果がみられることもあるという。

サックスは自然が患者たちの精神面や感情面への効果だけではなく、脳内の生理や器質的な構造にまで深い変化をもたらす可能性を論じている。彼の主張は、近年の研究でも裏付けられはじめており、例えば、花の咲いている植物や庭は、脳の電気的活動である脳波のα波のレベルを上昇させることが知られている。α波のリズムは鎮静と抗うつ作用のあるセロトニンの分泌と関連している。

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自然の存在に気づくことが回復へとつながる

自然には人間の感情を目覚めさせる力があるが、実際にどの程度影響を受けるかは、人それぞれのコンディションや状況によって異なる。私たちには「見ているのに見えない、聞いているのに聞こえない」といったような、刺激は確かに無意識には入力されている場合でも、それらが意識まで上らないことがある。

詩人のウィリアム・ブレイク(William Blake, 1757-1827)は、人間のこの世界の経験は心の受容力に強く影響を受けていると考えていた。彼は「ある者たちには喜びの涙を流させる木が、別の者の目には視界をふさいで立っている緑色の物にしか見えない」と表現している。ちなみにブレイクの詩にヒューバート・パリーが音楽をつけた『エルサレム』は、高校生の時にテレビで放映していたイギリスのクラシックミュージックフェスBBC Promsで聴いて以来、すごく好きな曲と歌詞で今でも時々元気を出したい時に聞く…。この曲はイギリスでは国家に匹敵するものらしい。

作家のイヴ・エンスラーは、悪性腫瘍の治療で入院した際の経験を記録している。エンスラーが病院に到着した時、彼女は非常に体調が悪く、極度の疲労状態だった。病室は美しく清潔だったが、窓からの眺めは嬉しいものではなく、一本の木が視界を遮る「緑の物」としか見えない状態であったという。

入院直後は映画を見たり、友人に電話をすることも出来ないくらいに体が弱っており、ベッドに横になっているしか出来なかった。あとは窓の外の木を眺めているだけであった。彼女は木に対してイライラすることもあり、退屈すぎてどうにかなってしまうのではないかと思ったという。最初の数日間は同様に過ぎて行った。しかし、それから少しして何かが変わった。彼女は窓の外の木を邪魔な物体としてではなく、隅々の小さな部分に至るまで、生きているものとして見るようになった。エンスラーは以下のように書いている。

火曜日には樹皮の上で瞑想した。金曜日、緑の葉が遅い午後の光の中で揺らめいている。何時間も、自分自身のこと、私の身体、私の存在は消えて、この中へ溶けていった。

病院のベッドに横たわり、木を見て、木の中に入りこみ、木に備わっている緑の命を見つけること、これは覚醒だった。毎朝、木を見るのが待ちきれなかった。私は木に取り込まれてもいいと思った。1日1日、日の光や風や雨によって木は違って見えた。木は強壮剤であり、治療であり、導師であり、そして教えだった。

木は彼女を癒し、化学療法を始める頃には、あちらこちらで咲き始めた白いサンザシの花を楽しむようにもなっていたという。彼女はこれまで自分の身体が地球から切り離されているように感じていた。彼女は子どもの頃も大人になってからも虐待を経験してきており、自分の身体が大事にされるものだと感じないままに成長してきた。何年も母との繋がりを求めていたが、その「入り口」を見つけることができないでいた。ところが、木はただそこにいることによって、彼女に何の要求をすることもなく、彼女を変えた。

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私たちは孤立してはいない

一本の木を見つめ続けて何時間も過ごそうと思う人は、あまり多くはない。病気になることは私たちを立ち止まらせ、これから先に何が重要かを再評価させることをせまる。優先順位を考え直し、これまでとは別の方向へと進んで行かなければならない。彼女の覚醒とその感覚は、非常に強烈なものだが、少しも特殊なものではなく、私たちの誰もが同じように経験する可能性がある。

ガンの診断を受けた人たちに関する最近の調査では、病気になったことで、自然界とまったく新しい関係を築いたという人が多いということが明らかになった。私たちが病気に直面した際、他の人からの導きや支援は重要だが、結局のところ、このような変化は自分で起こさなければならない。自然の中に身をおくと、私たちは常に生命に囲まれているのだとよくわかる。私たちは一人だが、孤立してはいない。

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12章の最後では、著者が転倒事故から回復した時の様子について書かれている。手術のあと病院から家に帰ってきて、よく知っている場所や家族のもとへ帰れるという安心感は大きかったようだが、身体が自由にならない日が続き、身体を動かして行ける範囲が急に狭まった。かつては自由に歩き回ることが出来た地面が、別の場所のように感じられたともいう。

タアサイとチンゲンサイの収穫

著者は毎日、家の近くの日よけのある場所に座って過ごしたが、意外なことに、そこから見通せる植物からの喜びよりも、晩秋の太陽の下にいるアオガラやヒガラなどの小鳥たちの動きを見て、心を動かされたと書いている。それから、日数が経ち、松葉杖をついて少しずつ移動できるようになったある日、著者は思い切って温室まで出かけて行った。そして温室の戸を開けると、そこには満開になったサフランが棚にずらりと並んでいる光景が広がっていた。

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その時、転倒事故が起きる数週間前に球根を買って植えた時の記憶が洪水のように押し寄せてきたのだという。ガーデニング・フェアでサフランを育ててみたいというとっさの思いつきで購入したが、それからあまりにも色々な出来事があって、すっかりとそのことを忘れていた。サフランの薄紫と赤紫の花びらは豪華で、深紅の長い雌しべがリボンのようにたなびいているのには驚嘆したという。

著者は数日後、再び温室に入り、この貴重な濃い赤紫色をした糸状の雌しべの収穫に取り掛かった。この時の順序だった仕事は彼女の心を落ち着かせ、事故後、初めて「意味のある何か」をやっているという気持ちになったという。その晩には、収穫した雌しべを使い、美味しいサフランリゾットを作ったようだ。そして章の最後は以下のような文章でしめくくられている。

温室では話をする必要はないし、闘わなければならない記憶や感情による動揺もなかった。そこには心身を回復させてくれる孤独があった。一人だけれど、一人ではないという孤独。私と花があるだけ。サフランを発見して、収穫したことは、私に喜びをくれた。それは純粋で飾り気のない喜びだった。

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