「庭仕事の真髄」第13章 緑の力

砂漠に作られたオアシス

13章の最初では、著者が夫のトムと一緒に参加したケニア北部の砂漠地帯で行った慈善プロジェクトの経験を紹介している。「砂漠の中の畝(Furrows in the Desert)」と呼ばれるこの取り組みは、乾燥地帯での持続可能な農業技術の普及を目指すものである。

ケニア北部トゥルカナ地方は砂漠地帯で、本来であれば農業が出来るような土地ではないが、そこに太陽光や風力を使ってポンプを稼働させ、地中深くから水を汲み上げることで、作物を育てることのできる畑(庭)を作ることが出来た。このような畑のことをこの地域では「シャンバ・ガーデン」と呼び、現在では30のコミュニティに150箇所が作られ、さらに今後数を増やす計画となっている。

ゴールデンハニーサックル

トゥルカナ地方の地形は山岳地で岩が多く、気温は40度、乾燥した強風地帯で、食物を育てるには全く適さない環境である。しかしこのシャンバ・ガーデン内では、ケールやほうれん草、インゲン豆やトマト、スイカが旺盛に成長している。そのため、周りの焼き尽くされたような景色の広がりと畑とのコントラストは非常に大きく見えるという。

著者はガーデンとカラカラに乾燥したこの土地の両方を見て、古代の遊牧民が感じたであろう感覚を強く実感したようだ。それは砂漠の中の楽園であるオアシスが、生命の回復に影響を与えることと、大地が緑の力(ヴィリディタス)を持つことについてである。

ホアハウンド(ニガハッカ)

自然と共に生きる

ひとたびガーデニングに熱中するようになると、花や自然を楽しむことよりも、次にすべき作業内容や仕事についていつも考えてしまうようになる(著者はこれを「ガーデニングの罠」と呼ぶ)。しかし、庭はそれ自身が生命を持っており、庭も自然の一部、一つの形態として考えると、ただ庭にいるということや、庭で過ごす時間を大切にすることが、ガーデニングの楽しみであることを改めて確認すべきなのかもしれない。

ガーデニングの歴史の一部には、自然を手なずけたり、押さえ込んだり、強化したりと、自然を操作したり、消費するものとしてとらえ、いわば人間が自然を支配するという考え方が発展してきた。しかし最近では、気候変動や自然の危機が逆説的にはたらき、庭や自然が持つ力について、考え方のパラダイムシフトが起きつつある。

私たちはこれまで自然について「弱肉強食」「適者生存」「利己的な遺伝子(ドーキンス博士のあれかな?)」といった考え方をしてきた。これらの考え方は時代背景や社会経済のメカニズムに適合していたというのもある。ところがこれまであまり注目されてこなかった考え方が次第にメインストリームとして取り入れられてきている。その中に「植物間コミュニケーション」という分野がある。これは木々同士がコミュニティを形成していると想定するもので、樹木たちは地下の菌類のネットワークを活用し、病害虫からの被害についてお互いに警告し合っているらしい。

「庭仕事の真髄」第12章 病院からの眺め

他にも、ヒマワリは自分の根の張り具合を近くの植物の状態に適応させることが知られている。こうした植物の様子からは、植物たちが弱肉強食的に特定の植物を単体で繁栄させることを必ずしも目指すのではなく、その周辺環境を含めた全体としての生存確率を高める方略を持っていることが示唆される。

庭や家庭菜園は生物多様性を支えている

近現代の気候変動危機は、生物多様性の危機とも言える。鳥類や昆虫(チョウやミツバチ)の個体数の減少は言うまでもなく、気温の上昇に伴う動植物の生息地の減少、農薬の過剰使用と汚染による被害などの組み合わせにより、地球全体の健康を支えている網の目状の生命の繋がりが重大な被害を受けている。そのような中で、意外にも家庭菜園や庭の存在は、私たちの身近なところでの種の豊かさや生物多様性を維持するためのホットスポットとして機能している。

庭はたとえ小さなものであっても、種々の野生動物の生息地になる可能性を有している。街中の庭に集まる鳥類の密度は、国全体で見た時の平均値の6倍とするデータもある。他にも庭に植えられた多様な植物はさまざまな受粉媒介をする虫たちを惹きつけ、枝や落ち葉、枯れた切り株はアリやカブトムシたちの住処を提供している。

タイム ゴールデンクイーン

家庭の庭の土壌には微生物や菌類、ミミズなどの蠕虫たちが住み着き、健康的な多様性を支えている。一方で農業地帯の土壌は意外にも表土が薄く痩せていると言われており、第2次大戦後の何十年にも渡る工業化された農業技術の使用が、世界の表土の3分の1以上を失わせたとするデータもある。

環境状態によって引き起こされる「うつ」

植物の生育に不可欠な表土は貴重な資源であるが、一度失われると再形成されるまでに500年〜1000年の長い時間が必要となる。古代シュメール人は土壌の劣化に苦しみ、古代ローマ人も同様に土地の風化を軽視したことから、結果的に農業の度重なる不作を招き帝国の衰退を招いた。現代でも世界規模で同様の失敗が生じ始めており、それらは私たちに無力感を生じさせ、問題自体への感覚も次第に麻痺してくることから「クライメート・グリーフ(環境的うつ状態)」と呼ばれることもある。

著者はここで、うつ病が呼吸器系疾患を抜いて健康や身体障害の原因の第1位となっている近年のデータを紹介し、クライメート・グリーフが少なからずその要因の一つとして作用しているのではないかと控えめではあるが、主張している。そしてこれまでの章でも繰り返し紹介してきているような、庭を通して自然と触れ合うことや、さらに言うならば畑(大地)を耕すことが、心身両面の回復へと繋がるのではないかと論じている。

ヴォルテール「カンディード」

第13章の終わりは、というかこの本の最後では、フランスの哲学者ヴォルテール(1694-1778)が書いた小説「カンディード」について考察している。この作品はレナード・バーンスタインが物語に合わせた曲を書いてミュージカルにもなっている。序曲はとても有名でCMや番組でも使われることがあるけど、主人公をはじめとした登場人物たちが最後に歌う”Make Our Garden Grow”のメロディーは心にとても沁みる。

ジ・エンシェント・マリナー

今回初めて「カンディード」のストーリーを調べてみたのだけど(といっても色々なところのホームページを覗いて見ただけだけど)、ストーリーや物語の内容はまだしも、それらに含まれるメッセージや一つ一つの文や言葉が示唆する内容について、これがまた深くて深くて、、難しくて…。

物語が書かれた時代背景やライプニッツ哲学とか楽観主義とか、よく読んでみると何となく分かったような、分からないような、自分の浅さについては改めて分かったのだけど、、、ひとまずYoutubeでミュージカル版をBBCのプロムスで演奏されたとても良いものを見つけたので、音楽から入ってみたりしている。

主人公のカンディードはドイツの貴族出身の若者。専属についている家庭教師からはいつも「世の中のあらゆることは、うまくいくように出来ている」と楽観主義を教育されてきた。しかしある時、住んでいる土地の領主の娘クネゴンデと関係を持ってしまったために、追放されてしまう。ここからが、カンディードの壮大な冒険の始まりで、東アジアの方にこそ来ていないものの、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ大陸のあちこちの街を訪れることになる。そして、どこの街や土地でも悲劇的な出来事に遭遇し、壮絶な経験を重ねていくことになる。これがすさまじくて、物語と言えどもこれが本当に一人の人間に起きるのかと突っ込みたくなるほどの悲劇の連続。

そして、すごく色々なこととに遭遇するものの、最後にはトルコに到着し、追放のきっかけとなった領主の娘クネゴンデとも再開して、そこで余生を暮らすこととなる。最後にカンディードは、小さな農家で悠々自適の生活を送る老人と出会い、彼との会話から労働すること、すなわち庭(大地)を耕すことが人生を幸福に導くのだと悟って、物語を終える。ミュージカルではこの「悟り」のところで登場人物たちが”Make Our Garden Grow”を歌い、大団円となる。

ヴォルテールはこの作品を通じて「やみくもな楽観主義」を風刺し、当時の主流となっていた認識論に異議を唱えているのだとか。ここで「やみくもな楽観主義とはですね…」と、まとめられるかと思い、ちょっとだけ挑戦してみたけれど、とても歯が立たないので無理せずに諦めました…。

本書(庭仕事の真髄)でも「楽観主義」についてはサラッとしか触れられておらず、ここだけを読んでもよくわからなかったので色々調べてみると、この辺りのライプニッツの理論や哲学的背景などについて、また「カンディード」という作品についても非常に丁寧に解説されている以下のブログサイトにたどり着くことができた。世の中には色々なことを研究されている方がいるのだなあと、また新たな未知の領域を知ることが出来て嬉しくなりました。

ヴォルテール 『カンディード』 地上における幸福に向けて

ヴォルテールは「カンディード」の出版後、晩年の20年間を庭や畑を耕して暮らしたという。フランス東部のフェルネーという小さな村の土地を手に入れ、果物や野菜の庭を作り出した。ミツバチを飼い、何千本という木を自ら植えたのだとか。彼は後に以下のように書き記している。

私は一生の間にただ一つ賢明なことをした。土を耕すという仕事だ。畑を耕す者は、ヨーロッパ中の文士気どりたちよりも人類により良い奉仕をする者である。

自らが書いた作品が示すメッセージを、そのまま体現したような生き方をしている。その後、フェルネーはヴォルテールの貢献により入植当初は150人ほどが住むだけの小さな村だったが、教会や病院、学校などが建てられ、人口1500人ほどの町へと発展したという(現在はフェルネ=ヴォルテールという町の名前となっている)。

ヴォルテールについての紹介を終えたところで、ガーデニングや庭仕事に関する多種多様なテーマを取り上げた全13章からなる本書の最後は、以下のような文章で結ばれている。

庭を耕すことは人生に対する姿勢になりうる。テクノロジーと消費がますます支配的になってきている世界では、ガーデニングはどのように生命が生み出され、維持されているのか、また、生命とはいかに壊れやすく、束の間のものかという現実を人間に直接教えてくれる。今やこれまで以上に、人間は地球の生き物だと、何よりまず思い出さなければならない時なのだ。

「庭仕事の真髄」第13章 p.354

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